関西を離れて10年、東京から世界の他の街と同じように関西を眺めてみてあらためて気づいたこと。
「京都は世界でも有数の観光地である」ということ。
日本が誇る古都であるが、同時に世界最大級の観光地なのである。
「観光地」が発信する "イメージ" に「憧れ」をもつのは当然だ。
しかしながら、私のような兵庫・大阪人にしてみれば、京都ほど矛盾したところもないのである。
「迷惑」そうに「公開」して「お金」をいただいて「しれっと」している。
一言で言うと、京都はいつでもこんなかんじである。
「ようこそいらっしゃいました」と表現しているのは、本当に口だけなのである。
人でもすぐに「もったいぶる」人というのがいる。
自分の価値を自分で釣り上げようとする人がよく使う常套手段。
こういうのが鼻についてくると、興味が薄れても仕方がない。
人も街も然りである。
関西の成り立ちを見返したときに、本当に「おもしろい」のはどこなのかは瞭然であり、一番おもしろいのが京都「ではない」のは明白だ。むしろ、「おもんない」と言ってもいいだろう。京都はシステムであって、クリエイティブではない。
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